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分裂する「ネット人格」をフロイト的に読み解いた『ドッペルゲンガーの物語はなぜ不気味なのか?』

『フロイトで読みとく分身小説1 ポー『ウィリアム・ウィルソン』の場合: ドッペルゲンガーの物語はなぜ不気味なのか?』が出た。
電子書籍のオリジナル「中山文庫」の第一弾だ。

著者の中山元は、哲学者、翻訳家。
マルティン・ハイデッガー『存在と時間』(光文社古典新訳文庫)が、全8巻が刊行中だ。
新訳『存在と時間』は、分量的には本文よりも解説のほうが多いという徹底丁寧本。

本書『フロイトで読みとく分身小説1』は、ポーの短編『ウィリアム・ウィルソン』の全訳が第一部。続く第二部が、その「読みとき」となる。
“分身が生まれるためには二つの重要な条件がある。第一は心が分裂していることであり、第二はその分裂した心が、もとの心や身体を抜け出して、別の存在になっていることである。”からはじまる。

フロイトは、「超自我」「自我」「エス」という三つの審級で人間の心が構成されていると考えた。この構成をベースに、「超自我分身型」「自我分身型」「エス分身型」と、分身小説を三つの大きな類型に分ける。
そのうちの第一の類型「超自我分身型」として『ウィリアム・ウィルソン』の不気味さの理由を読みとくのだ。

読み進めるうちにわかっていることは、いまや我々は分身を多数持つ時代に生きているということだ(たとえば「ネット人格」!)。分身小説の不気味さは、いつも我々の中に潜んでいる。

シリーズは、これ以降
『フロイトで読みとく分身小説 2  モーパッサン『オルラ』の場合: ドッペルゲンガーの物語はなぜ不気味なのか』
『フロイトで読みとく分身小説 3 ホフマン『大みそかの夜の冒険』の場合: ドッペルゲンガーの物語はなぜ不気味なのか? 』
と出ている。
モーパッサンの『オルラ』は「自我分身型」。
ホフマンの『大みそかの夜の出来事』は「エス分身型」。
三つの鍵を手がかりに、分身小説の持つ迷宮に踏み込んでいく試みが、この三部作だろう。

こういった電書シリーズが精力的に出てくる状態は、とてもエキサイティングだ。