性にふりまわされる女子高校生『荒ぶる季節の乙女どもよ。』お母さんは、処女じゃないんだなあ
「近頃の私は、性にふりまわされてる気がする」
ぼんやり考えていた性がリアリティを帯びてきた時、苦悩する女子高生たちを描いた『荒ぶる季節の乙女どもよ。』が4月7日から配信されている。
和紗は児童文学が好きで、文芸部に入った。みんなで様々な文学を追っていくうちに、どうしてもセックスシーンが避けられなくなる。「私はその茂みに分け入り、彼女から流れる甘美な汁をあまさず飲み干した」
和紗は目に入る言葉がどれもこれもエロく見えてきて、止まらなくなる。キュウリから破瓜を連想するくらい。
天然で明るい母親と話しながら、この人は「処女」じゃないんだな、とモヤモヤする。
ある日、仲良しの幼馴染の少年・泉の家に料理を持っていった所、彼がオナニーしているのを見てしまう。
「セックス」は異次元の単語ではなかった。自分たちも、しようと思えばできる体であることに、慄く。
思春期にエロ単語をつい見てしまったり、町の看板からエロを妄想するのは、大人になってからだと笑える、過敏な出来事。
だが「セックス」の単語を見ただけで、強烈な罪悪感に責めさいなまれたる感覚は、中高生の時期は本当に苦しい。自分はおかしくなったのではないか、と焦る。
まだ性体験のない、文芸部の少女たちのヰタ・セクスアリスは、自分たちの成長のペースを許してもらえない。本人たちはその気じゃなくても、年上の男性の性的目線はふりかかってくる。
作家志望の少女・本郷は担当編集に「女子高生作家がエロに切り込むって絶対ウケる」と言われる。
元子ども劇団の少女・菅原は、絡んでくる大人の男性撃退法として、性病の演技を身に着けている。
性が、汚れたものに見えてくる。
「少女の私はもうすぐ死ぬから」と菅原は言う。
世の中の「性」に怯え、自分たちの中の「少女」が死んでいくことを怖れる物語。一巻はマイナス面ばかりだ。
ただ、「性」や「恋愛」のもたらす「幸福」な部分は、わずかに見え隠れしている。
原作者の岡田麿里が、閉じた少女時代ついて書いた自伝的作品『学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで』は、4月12日から電子書籍で配信されている。