2017.02.15
甘やかされ系女子高生マンガ『不登校の日常』いいからさっさと学校行きなさい
自堕落系ギャグマンガ「不登校の日常」の配信が1月23日から始まっている。
高校二年生の早乙女雨音は、絶賛不登校中。
不登校というと、非行だとかいじめだとかを疑いがち。実際父や先生など周囲のキャラクターはその方向の心配をしている。
けれど彼女は、単に面倒くさいだけ。
コミュ障と自分で言うけれど、対人恐怖症なわけじゃない。引きこもりでもない。別にコンプレックスがあるわけでもない。
雨音は不登校特有スキルを次々繰り出す。
逆ギレ。物に当たる。人のせいにする。昼夜逆転。運動不足。ネットが繋がらなくなると何もできなくなる。
双子の姉は厳しく学校に行くよう言うものの、父が激甘なためなかなか治らない。
何の裏も苦しみもない堕落状態を描いているので、気兼ねなく彼女のダメなところを笑えるマンガ。
自ら不登校している学生の日常は、事件なんてなにもない。
一方「私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い」は、コンプレックスがめちゃくちゃ強い、いわゆる喪女な高校生・もこっちを描いたギャグ漫画。
自意識過剰すぎる彼女、リア充集団に激しい嫉妬を燃やす。私は違うんだと言い訳をし続ける。
といっても周囲の子は極めて、もこっちに優しい。実は恵まれている環境にいるのに気づいていない。本人が空回りしているだけだ。
人と話せないことをなかば大げさに苦しみ、のたうち回る。彼女自体はものすごく友人がほしいのだ(プライドのせいで、隠して言わないけど)。
痛々しさの度合いはとても高い。1巻発売当初も「笑える」「笑えない」で評価が分かれ、話題になった。あまつさえモノローグばっかりなのにアニメ化までした。
10巻くらいまでくると、彼女も大分クラスメイトと話せるようになってくる。
周囲に嫌われているわけじゃなく、自分から距離を置きまくっていたのが、少し落ち着いてきただけ。
でも、大進歩だ。読んでいて、ツッコミ笑いから、応援へと気持ちが変わってくる。
「ふらら1人でできませんっ」は甘やかされ度合いが極端なマンガ。
甘宮ふららは1人で学校に行けない。なんとなく怖いから。
1人でトイレに行けない、服を着られない、買い物ができない、荷物の受取ができない、電車に乗れない。
歩けない、しゃべれない。
高校生の悩みどころか、人間的生活のスタートラインにすらいない。別に身体的に問題が有るわけではない。
彼女の幼馴染がいつも一緒にいて、お母さんがなんでもしてあげているから、生きているようなもの。
ここまでくると、女子高校生という皮をかぶった、別の生き物だ。
3作品とも、ジャンルはギャグ漫画。
いずれも、「動物園の檻の向こうで失敗を繰り返す珍獣」状態で読めるように内容が舗装されているので、笑いながら「いい加減にしろ」とつっこめる。
ただ、女子高校生というブランドがあるからなんとかなっている、という「不登校の日常」の雨音の意見は、3作品ともあながち間違っていない。