宮崎駿は後継者を本当に育てたのか

2016年11月13日、NHKスペシャル「終わらない人 宮崎駿」が放送された。
再放送は、11月16日(水)午前0時10分。
75歳の宮崎駿に密着したドキュメンタリー。

「後継者を育てたよ。後継者育ててやらせると結局食べちゃうことになるんですよ。その人たちの才能を食べちゃう」
そう語っていた宮崎駿監督は、どのようにして若い才能を育てようとしたのか?

そのひとつの実例を示す資料として『巨匠と過ごす夏(前): 宮崎駿と13人の塾生』がある。

「東小金井村塾」の塾生体験をマンガ化した作品だ。

「東小金井村塾」は、演出家養成を目的とした塾である。
1995年に高畑勲監督が、1998年に宮崎駿監督が主催した。

『巨匠と過ごす夏』の著者・記伊孝は、1998年の塾生。
当時、22歳である。

塾生を選ぶ面接。
“印象としては切り込み役が鈴木さん。大将は後ろにどっかと構える形”
鈴木さんというのは、鈴木敏夫プロデューサー。
大将は、宮崎駿監督のことだ。
「環境問題に対して…自分なりにしてる事とかある?」
という質問に、他の志望者は、優等生的な答えを繰り出す。
答えるのが一番最後だった著者は、
“こうなりゃもう「オチ」役に徹するぞ”
と覚悟を決めて、
「はいっ!! 僕 生まれてこのかた考えたこともないです!!」
と発言。
監督も議論に加わり、孤軍奮闘することになる。
「作品に環境意識は必要だと僕は思っています」
きっぱりと言い切る宮崎駿監督。

だが、合格通知が届く。
“あの時、面接に来ていた他の志望者は皆落選していたのだ”

NHKのドキュメンタリーでも、若い人を叱りつける場面があった。
「意見が対立することは悪いことではない」と宮崎駿は考えている。
そこで、ちゃんとくじけずに、自分の考えを戦わせられるか。
戦いの中で新しいものを生み出していけるか。
そうやって、ものをくつっていくのだという信念があるのだろう。

だから、このマンガの中でも、宮崎駿は、いつも真剣に、ときには大人げなく塾生と対峙する。

塾生達に一週間で起こった出来事を順に発表させる。
『カリオストロの城』を使って絵コンテの読み方の講義。
夕食の後に映像鑑賞。
放映されたばかりのカレカノ第一話を観る。
すぐさま議論が始まる。
終わっても、何人かの塾生は残っている。
宮崎さんも残って、ガンガン話す。
終電を逃し、駅で、その日あったことをメモしながら始発を待つ著者。
ああ、なんて羨ましい日々だろう。

中央線東小金井駅からアトリエまでの道のりを20カット以内で絵コンテ化する課題で、宮崎駿監督と一対一の講義レッスンがはじまる。
自虐ネタの部分を指して、「なんでこうすぐ落ち込んじゃうんだ。こーゆー時はたとえ嘘だっていいから!!「俺はいつかやってやる」ぐらい言わせたっていいんだ!」
もう指導というより、本気で怒って、自分の理想の絵コンテにしてしまいそうな勢いだ。

四六時中なにか描いている。立ったままでも、つねに落書きしている宮崎駿。

「毛虫のボロ」、そして次の長編アニメーション、楽しみです。