歌舞伎町でどん底の人を救う男の凄絶な過去『駆け込み寺の男 -玄秀盛-』
「女なんて、俺はどうでもええねん。勝手にどうとでも生きたらええ。」
耳が聞こえず話せない女性を前に、玄秀盛(げんひでもり)は言い放つ。勤めていた店でレイプされ、妊娠した自分の腹の中をどうしたらいいかわからず、玄に助けを求めてきた女性だ。
新宿救護センター、通称「歌舞伎町駆け込み寺」。そこで相談者を待つのは、体が大きく目にかたぎでない鋭さを持つ男・玄秀盛だった。
開高健ノンフィクション賞作家・佐々涼子が「歌舞伎町駆け込み寺」玄秀盛の今と過去を追った出世作。『駆け込み寺の男 -玄秀盛-』が、2016年8月15日にAmazon Kindleで配信開始された。
玄のもとを訪ねてくるのは、DV被害者、虐待被害者、ストーカー加害者、違法滞在者、女性と結婚してから自分がゲイだと気付いた男性……。
男女問わず、様々な問題を抱えた人が最後の希望として玄を頼る。駆け込み寺を訪れたときには、血のついた服を着て片目をつぶされているなど、みな満身創痍だ。もしこれが映像だったら、見ていられないかもしれない。
日々、追い込まれた人々の対応をこなしながら、玄は言う。
「小さい悩みで、死ぬの、生きるのと言ってるからよ。人を救うっていうより、まあ、金魚すくいみたいなもんやで。慈悲、慈悲やなあ」
相談者本人にとっては、生きるか死ぬかの大問題。だが、玄から見ればそ小さい悩み。
このギャップがどうやって生まれたのか。ややこしい悩みを持つ人を無償で救う慈悲の心はどこから湧くのか。佐々は、玄の過去を紐解き、そして1つの答えに辿り着く。
玄は小さい頃に「こんな大人がいてくれたらいいな」と思うヒーローを今演じているのかもしれない。
駆け込み寺を訪れる相談者のように、血まみれで、空腹で、いつも孤独だった玄の壮絶な幼少期。
読んでいると、文字を追っているだけなのに自分が怪我したかのように体が、胸が痛む。そんな自分の同情心すらも、玄の深い深い孤独の前では無価値だ。かんたんに共感しようとした自分の浅はかさが、恥ずかしくなる。
とことん悲しみ、疲れ果てて、「もう、ええわ。悲しむのは十分」と思った人しか助からない。
「勝手にどうとでも生きたらええ」と悪態を吐きながら、玄は待っている。その相談者が「悲しむのは十分」と思えるその時を。
悲しみの底を知る玄は、今も悲しみの中にいるのだろうか。50年以上も孤独の中にいた彼もまた「悲しむのは十分」と思い、救われていてほしい。
そんな祈りすら「あほか」と一蹴されてしまうかもしれないけれど。