異世界に没入した果てに、何が待ち受けているのか『放課後ウィザード倶楽部』1巻発売
『ポケモンGO』が話題だ。これはAR(拡張現実)を用いたゲームで、スマホのGPSとカメラ機能を使うことによって、現実世界でポケモンハンティングができるというアプリである。
いつも歩いている道でポケモンが出現する。あるいは、ポケモンを求めて行ったことがない場所を散策する。私たちが生きている日常に「ポケモン」という新たなレイヤーを被せることで、世界がエキサイティングになる。『ポケモンGO』の魅力というのはそんなところだろう。
さて、この記事はそんなAR(拡張現実)とは関係がない。その親戚みたいな存在のVR(仮想現実)の話がしたい。それもVRフィクションの話を。
VRはARと違い、現実とは違う世界を構築し、そこに意識を没入させることを言う。その特性から、VRを扱ったフィクションは様々に生まれてきた。
ミステリー作家の岡嶋二人による『クラインの壺』に始まり、高畑京一郎の『クリス・クロス 混沌の魔王』(第1回電撃ゲーム小説大賞を受賞)、押井守の『アヴァロン』、そして川原礫の『ソードアート・オンライン』がある。
すべて誰かが構築した異世界に没入し、戦い、「死」に恐怖しながら突き進んでいく作品だ。
これらの系譜に連なる意欲作として、『放課後ウィザード倶楽部』の1巻が発売された。
『放課後ウィザード倶楽部』は須加那由多が奇妙な夢を見るところから始まる。そこはまるでファンタジーRPGの世界で、明晰夢のように意識ははっきりとしている。次の日、那由多のクラスメートたちも同じ夢を見ていることがわかり、彼らは夢のなかで合流し、探検を始める。
遺跡に彫られた人工言語、魔法アイテム、突然襲い来る敵。そこには謎に満ちた世界が広がっていた、というわけだ。
こう書くと『放課後ウィザード倶楽部』はVRものではなく、ファンタジー作品のように聞こえるかもしれない。だが、『放課後ウィザード倶楽部』はVRフィクションの特徴を備えている。
(1)主人公が現実とは違う世界に行ってしまうこと
(2)その世界における身体は、現実の身体とは切り離されており、その世界で身体が傷ついても、現実世界の身体には影響がないこと
(3)その世界は誰かが意図して作ったものであるが、その意図はわからないこと(あるいは真の意図が隠されていること)
VRフィクションの共通項として、「創造者の存在」と「死の取り扱い」、「仮想現実と現実の境目」を曖昧にして、緊張感と面白味を生み出す傾向にある。
『放課後ウィザード倶楽部』でも、それは変わらない。いったい誰がこの世界を作ったのか? この世界のなかで死んだらどうなるのか? 異世界に没入した果てに、いったい何が待ち受けているのか?
「死」については一応、「夢の世界で死んでも目が覚めるだけ」という説明があるが、そのルールが不変とは限らない。いつ「死」が生々しさを持つのか。これからが楽しみだ。
『放課後ウィザード倶楽部』はVRフィクションであると同時に、王道のファンタジーでもある。作者が意図しているかはわからないが、見事なアクロバティックを達成している。少年たちの冒険譚としても読めるし、筆者のようにVRものとして読むのもいい。
何より夢のなかで友達と集まり、冒険をする姿に、郷愁とワクワク感がかき立てられる。放課後、友達と遊ぶときの気持ちって、こんな感じだったよなぁ! VRのように、そんな感覚に没入できるマンガだ。