天才・岩田聡のご褒美回路は「ポケモンGO」に繋がっているのか
任天堂前社長の岩田聡は、1959年札幌で生まれた。
児童集会でのスピーチがうまい、合唱の大会では優勝目指して負けん気が強かった。
高校ではバレーボール部に所属するが、「引退するまでベンチウォーマーとして過ごした」という。
『ゲーム界のトップに立った天才プログラマー 岩田聡の原点ー高校同期26人の証言ー』(岩田聡の記録を残す会・著)は、岩田の高校同期生たちの思い出を通して、人物像に迫った一冊だ。
ベンチウォーマーなのに、一目置かれる存在であったという岩田。
なぜか。
積極的に試合の記録を取り、マネージャーの役目も兼ねるようになっていった。プログラム電卓に、試合のスコアからサーブやアタックの決定率、サーブレシーブの正確率などいろいろなデータを個人別に入力して解説した。
チームのため、データ・マネジメントに取り組んでいたというエピソードだ。
プログラム電卓はまた、ゲームの開発もできる。岩田はこれに熱中する。授業中も開発をやめられない。だは、数学の成績は落ちなかった。
「どうしてそんなに点が取れるんだ?」
不思議に感じた友人が聞く。岩田は、あっさりと答える。
「勉強しなくていいからだ」
「お前、公式はどうするんだ?」
「公式を覚えていなくても、その場で組み立てられるから大丈夫」
同時にこうも答える。
天才とか創造的とかいわれる人は、自分が関心のあることについて、質と量の両面で無制限に継続できる力が備わっていると思う。このような人は、自分の中に「ご褒美回路」ができているんだよね。たしかに僕もそれを持っている。
(付録・岩田聡インタビュー2011年「イノベーション・コミュニケーション・マネジメント」より)
自分は生まれついての天才ではないのだと。
ご褒美回路。ゲームっぽいネーミングだ。
学生時代に1万時間以上をプログラミングに費やしたのも、この回路が使われたはず。
岩田の青春時代、コンピュータも進化していった。
1977年には、コモドール社からPET2001が発売され、続いて同じくオールインワンタイプのパーソナルコンピューター・アップルⅡが登場した。岩田は、大学進学のきっかけにPET2001を買っている。
コモドールやアップルⅡって、『スティーブズ』(漫画・うめ/原作・松永肇一/小学館)に出てきたワードだ、テンションがアガった。
シリコンバレーでのコンピュータ革命が契機となり、天才プログラマーは世に出た。そして、ゲームを「全世代に楽しめるものにできないか」と考えた、考え続けた、2015年7月11日、55歳の若さで亡くなるまで。
2016年7月、「Pokémon GO」が世界を賑わせている。岩田聡のご褒美回路は、きっとそこに繋がっている。